2024年5月12日「看護の日」に、経験してきた分野の異なる3名のトークライブ&交流会の看護師・看護学生向けイベントを開催しました。
ナースのキャリア図鑑vol.1
トークライブ
スピーカー自己紹介
高橋亜由美
看護師15年目。大学病院ICUで5年勤務後、派遣登録して短期や単発バイト、透析クリニック、訪問看護、人工呼吸器特化の病院を経て、現在は、重症心身障害児・医療的ケア児のデイサービスで週4の常勤勤務をしつつ、2021年にNPO法人あえりあを立ち上げた。
泉玄太
看護師20年目。急性期・慢性期・回復期の病棟を経験し、認知症の認定看護師を取得。教員の経験もあり、現在は老健で認定看護師として勤めつつ、看護学校の非常勤講師や北海道の認定看護師会の副会長もしている。
ちむ
看護師7年目。総合病院の急性期病棟が合わず1年で退職し、沖縄に移住して看護師をしたり、一度看護師を辞めてアパレルで働いたのちに、再度訪問看護師をしている。YouTuberでもある。
なぜ看護師になったの?
ちむ:医療系に興味があり、看護師になりたいというよりは、手に職をつけたかったです。
泉:高校生の時に、親と祖父が癌になり病院に行く機会があり、志してみようかなと思うきっかけとなりました。ちむちゃんと同じように手に職をつけたいということや、家が欲しかったのでローンが組めるなと(笑)
高橋:医療系のドキュメンタリーが好きで、なんとなく医療系がいいかなと思っていたことや、オープンキャンパスで「ここで大学生活できたら楽しそう!」と思い、薬学部志望だったけれど模試でD判定しか出ず、この大学の医療系で受かりそうなのが看護でした。
新人時代の辛かったこと
ちむ:辛かったことしかないです(笑)今思うと、私のことを考えて指導してくれていたんだとわかるんですが、当時は、いじめられている感覚になっていました。キャパが広くないので、一つ一つ立ち止まる暇もなく、覚えなければいけないことと、やらなければいけない業務に、いっぱいいっぱいになり、指導されたことにもいちいち傷ついて、必死でした。今となってはいい思い出です。
泉:大変なことが多かったと思いますが、それがあって今があると思います。自分の仕事のできなさに直面しなければいけないし、患者さんから「新人さんじゃなくて、違う看護師さん呼んできて」と言われると、信頼されていないんだなと葛藤していましたね。お亡くなりになった患者さんのご家族に「お世話になりました。これからもたくさんの人を助けてあげてくださいね」と言ってもらった時に、初めて、看護師として少しでも人のお役に立てたのかなと思えました。これが看護師の仕事の醍醐味なのかなと。
高橋:新人2ヶ月目に、個室で医師に怒られて、泣きながら過呼吸になったことがありましたね。泣きながら帰ったり、家で涙が止まらないという経験は、みなさんもありますよね、きっと。(会場の看護師も大きく頷く)
最初の転職のきっかけ
ちむ:急性期が合わず、環境が変わればなにかが変わるはずだと思い、SNSで急性期以外で働いている看護師から情報収集し、行動に移しました。1年で辞めましたが、理由をしっかり説明できれば転職先も納得してくれました。デメリットは周りからの目くらいですかね。
一つの病院で長く働く
泉:認定看護師として活躍しようとしたときに、組織をアセスメントする際には、長くいたほうが見えるものがあるとは思います。認定を取らせてもらったという恩もあり、この職場にも還元したいと思いました。
一度看護師を辞めて「やっぱり看護師」
ちむ:夜勤がキツくて訪問看護をやってみて、おもしろいけど「このまま看護師だけをして人生を終えるのかな」と思ってしまい、やりたいことをやってみようと、アパレルで働きました。看護師以外のことをやってみたときに、想像以上に大変なことがあり、「訪問看護が楽しかったな」「看護師のこういう部分がよかったな」と気付き、やっぱり訪問看護をやりたい!と看護師に戻りました。
認定看護師
泉:同居していた祖父母が認知症だったことや、上司の勧めもあり、突き詰めてみようかなと思いました。現場で働くことから一度離れて、学びに集中することもとても楽しかったです。今までの自分を振り返る機会にもなりました。看護師は答えを求めがちですが、一瞬一瞬の関わりで相手の心をどう動かせたかな、元気になってもらえたかなというところが、おもしろいなと思っています。
興味があることにその都度チャレンジ
高橋:新卒でICUは、当時は辛かったけれど、だからこそ基礎をしっかり身に付けられたと今は思います。知人の娘ちゃんが気管切開をしていて、幼稚園や小学校の付き添いをした経験から、「ICUにいた子達も、退院して家で生活したり、学校も通うし、きょうだいもいるし、外出や旅行もするんだな」と思うようになって、在宅小児の分野に関心を持つようになりました。最近は、医療的ケア児の旅行同行もしています。
自分でフィールドを広げるきっかけ
高橋:大学病院で働いていた時は、長く病院で働いている看護師としか接点がないので、それしかないと思っていました。20代後半に、応援ナースや全国規模の系列病院で転勤を活用して、住みたい地域に住みながら看護師を続けている人もいると知り、「働き方もたくさんあるんだ」「そんなのもありなんだ」と気付きました。現在は、自分でNPO法人を立ち上げてSNSや広報物作成やイベント企画運営などを行っているので、勤務先でも看護師としての仕事のみではなく、役に立つ人材でいることは心がけています。
みなさんに伝えたいこと
ちむ:「急性期経験があったほうがいい」「まずは3年」などとよく言われますが、自分の人生は自分のものなので、やりたいと思ったことはやってみたらいいと思っています。看護師資格は、全国に仕事があり、一度現場を離れたとしても戻ることができるので、他にやりたいことがあるならやってみたらいいと思うし、一つの道を極めるのもすごいことだと思うし、自分で選んだ道を自分の正解にできる人生を送れる人が増えたらいいなと思います。
泉:自分のできることや得意なことなどと同時に、弱みや課題なども含めて、自分を見つめることが大事だと思っています。例えば「心配性」「すぐに行動できない」という弱みは「慎重に行動できる」という長所でもあり、自分で認識していない力が、自分が欠点だと思っていることの中にもあると思います。看護師は、ラダー制度がありますが、それだけでは評価できないと思いますし、自分の欠点をどう強みに切り替えていくかも大事です。一色に染まった職場ではなく、いろんな力を持った人が働く虹色の職場は、多様に機能します。“きかんしゃトーマス”のように、力のある機関車がいたり速く走れる機関車がいたり、いろんな力を持っている人がいて、個人のもっているスキルが求められているものとマッチすると、みんながイキイキ働けるのではと思います。
高橋:このイベントを開催したのも、いろんな看護職がいていいと思っているからです。専門性を極めて一つの道を突き詰めるのもすごいことですし、バラエティーに富んでいることも、看護以外の経験をしていることも、すごいことだと思いますが、コミュニティーを1つしか持っていないと「こうじゃなきゃいけない」になりがちです。新人看護師や若手看護師が直面する劣等感や「仕事できない」「向いていないかも」「辞めたい」という感情が生まれた際に、自分とは違う分野の経験のある人や、職場以外の看護職の友達が、いるのといないのとでは、その先が全く変わってきます。自分なりの楽しい看護職を見つけられる人が増えるといいなと思っています。
交流会
参加者(看護師・保健師・看護学生)の声
トークライブ
- 興味のある話が多く、とても楽しかったです!
- 実際の看護の現場のお話を聞け、看護について具体的なイメージを持つことができた。また、看護師の働き方がとても多種多様で知らなかったものも多く、聞いていて面白かった。
- とても楽しかったです。日々の生活では交流できない方々のお話を聞くことができ良かったです。また行きたいです。
- いろんな看護師がいていいんだと少し気持ちが楽になりました。また、泉さんのトーマスの話がすごく自分の中に入ってきました。
- 3人の方の現在に至るまでのお話しを聞いていて、時代は変わっているな!と感じました。私の新人時代は看護師は病院で働くと言う一択でしたので今は今で自分らしい毎日を送っていることに変わりありませんけれども、もっと早く自分の道を見つけられたかもしれないとも思いました。
交流会
- 自分の知らない話が聞けて、視野が広がったため、来てよかったと思えました!
- 男性の看護師さんや保健師さんとお話でき、普段では繋がれないような人と繋がれてよかった。看護師といっても、働き方や考え方が異なっており、もっと話を聞いてみたいと思った。
- 看護師として色々な働き方を知ることができ、また大変さを共有できて良かったです。仲間ができたような感じがしました。
- 看護学生や色々な経験をされている方とお話ができ、自分の価値を上げていかないといけないなと強く感じ、とても刺激を受けました。
- 自分の子供でもおかしくない年代の方とお話しすることで錆びついた頭がリフレッシュ出来ました。今まさに仕事の立ち上げを頑張っているお話しが聞けたり、刺激になりました。